あ、どうも。
揺る癒る整体みやび家の浜崎雅光です(^^ゞ
「ひとは何のために生きるんですか?」
先日、テレビ番組で8才の男の子が最近思っている疑問
「人間(ひと)は何のために生きるんですか?」
というのをゲストの所ジョージさんと川栄李奈さんに聞いていました。
8才でこういうことを考えるってすごいですね。
川栄李奈さんの答え
まず、川栄さんの答えは
「楽しいからだと思います。
楽しいことをたくさんするために楽しく生きてるんじゃないかと」
それに対して男の子は納得いかない様子で両手でバツのマークを作ってました。
所ジョージさんの答え
その後、所さんの答えは
「じいさん、ばあさんになるとなんとなく生きてる意味が分かってくるのね。
今は分からないでしょ?
だから、じいさんばあさんになるまではとりあえず生きてみるということなの。
手品でも、初めに仕掛けが分かってたらつまんないでしょ?
最後の最後に種明かしがあるから『おー!』ってなるじゃん。
この先あなたも100年ぐらいあるだろうから(笑)
とりあえずそこまでは一生懸命生きてみるということ。
そうすると、なんとなく分かるかもしれないよ」
これに対して男の子は「さんかく」
と。
せっかく親身になって答えてくれてるのに厳しいですね(笑)
たしかに、これってこれまでよく耳にする質問で
偉い(と言われている)ひとや、有名な人、歴史上の偉人などが
「人間は○○のために生きているんです」
って言ったところで本当にそうなのか分からないし
全てのひとが腑に落ちることもないだろうし
それを聞いた人が「あの人がそう言ってるんだから私もそう生きないと」って
義務的になったり、今そう生きれていない自分を責める人もいるかもしれない…
難しい。
「人間(ひと)は」ではなく、「自分は」に変えてみる
「この問いの何が難しくしてるんだろう?」って考えたら
初めに「人間(ひと)は」 って付いているからなのかもしれない。
「人間は何のために生きるのか?」 と。
これを 「人間は」 じゃなく 「自分は」 にすると、ちょっと分かりやすくなるのかなって思った。
「自分は何のために生きるのか?」
これなら、それぞれ違ったとしてもいい。
みんなと一緒じゃなくてもいい。
「親のため」「子どものため」「パートナーのため」「愛する人のため」という
「誰かのため」という人もいるだろうし
「少しでも世の中をよくするため」「一人でも笑顔になってもらうため」「たくさんの人に喜んでもらうため」とか
多くの人のためのひともいるだろうし
モノづくりをしてる人なら「少しでも納得できるものを作るため」「伝統を守るため」とか
川栄さんのように「楽しく生きるため」とか
冒険家の人なら「新しいものを見つけるため」「挑戦するため」とかなんでもいいんだろうなぁ。
それに、一度それに決めたらからといって一生同じじゃなくてもいい。
1ヵ月後、1年後変わっててもいい。
身近な人の死を経験して変わることもあるだろうし
自分が病気になったりして「死」を意識して価値観が変わることもあるだろうし。
もし今、「自分はこのために生きている」「これが目的」というのがなければ
誰かの言葉を参考にしたり、占いをヒントにしたりして
自分が納得するものを見つけてもいいかもしれない。
自分が決めたことなので、周りからとやかく言われることもないし、
誰かが「自分はこのために生きています」と言っても批判する必要もない。
みんな違って、みんないい♪
最後にひとこと
「人間(ひと)は」 じゃなくて、「自分は」 何を目的に、何のために生きたいのか?
忙しい日常からちょっと離れて時間を作って考えてみることって必要なのかなぁと思います。
ちなみに、今の浜崎は
「自分の可能性を見つけてそれを広げていくため」ということを考えています。
(変わるかもしれないですけど)